子供の頃から天才と言われたピカソは、一体どのような人生を送ってきたのでしょうか。
そこで今回は、巨匠ピカソの知られざるエピソードを踏まえたトリビアをいくつか紹介します。
ピカソについて
ピカソは1881年10月25日、母マリア・ピカソ・ロペスと父ホセ・ルイス・イ・ブラスコ夫婦の初めての子供として誕生しました。
しかし、ピカソは生まれてすぐに九死に一生を得ることになります。
とても難産だったピカソは、産まれても息をしていませんでした。
この出来事に打ちひしがれる親族たちに囲まれて、悲痛な空気に包まれた寝室では、父の弟が葉巻を吸いながらピカソに近づきます。そしてその煙をピカソに吹きかけたのです。
そうすると赤ん坊のピカソが反応します。これがきっかけでピカソは助かりました。
この助けたピカソの叔父に当たる人物は、医師でした。ですが、赤ん坊に煙を吹きかけるという方法は、医者なりの確認手段だったのかは疑問ですね。
ピカソのフルネーム
ピカソという名前で知られていますが、実は彼の本名はとても長いのです。本人も日常生活でフルネームを使うことはなかったと言われているほど。
パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・シプリアノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード
フルネームはこの後に、父親の第一姓ルイス (Ruiz) と母親の第一姓ピカソ (Picasso) が続く。
引用元:wikipedia
スペインでは、名前に両親の苗字を取り入れて子供の名前が付けられます。さらに聖人たちや親戚の名前も付けられるので、このように名前が長くなるとのこと。
基本的には、名前+父親の苗字+母親の苗字というスタイルになります。
ピカソも最初はパブロ・ルイス・ピカソという名前を名乗っていました。ですが、ある時期から父親の苗字を取り除いて、パブロ・ピカソという母方の苗字だけになっています。
- 母:マリア・ピカソ・ロペス
- 父:ホセ・ルイス・イ・ブラスコ
ピカソの両親の名前を見ても分かるように、スペインでは結婚しても苗字が一緒にはなりません。
そのため、親子で苗字が違うことが普通みたいですね。日本人の感覚からしたら不思議に思います。
ピカソの天才の秘密
ピカソの父が、まだ8歳だったピカソにりんごの絵を描かせました。
そのりんごがとても上手だったので、画家であった父は自ら絵を描くことをやめてしまうほどの衝撃を受けたそうです。
幼いときから天才の片鱗を見せていたことになりますね。
また、ピカソは作風を何度も変化させていることでも有名です。初期の頃は「青の時代」と呼ばれています。
親友が自ら命を絶ってしまったことに衝撃を受けたピカソは、鬱屈した気持ちを表すように底辺で生きている人たちを題材に、青を基調とした作品を描いています。
そうかと思えば、恋人を得て明るい画風になっている頃もあるんですね。その頃は「ばら色の時代」と呼ばれていています。
ピカソほど変化に富んだ画家はいないと言われており、これが天才の秘密だったのではないでしょうか。
次々と新しいバリエーションを生み出すことは、芸術家にとって凄く大切なことだと感じます。
ピカソは生涯で約15万点もの作品を作り、ギネスブックにも記録されているほどです。
そしてピカソの遺産は、今の日本円にすると約7500億円とも言われています。
美術史上、ピカソほど経済的に潤った人物はいないのではないでしょうか。それだけ大成功した画家でもあるのです。
まとめ
ピカソについて興味深かったのは、やっぱりフルネームが長すぎることですね。本人でさえ覚えていない名前というのは、意味があるのでしょうか。
しかし、正式な書類などには本名を使うことがあったはず。本人さえ覚えていないのなら、けっこう面倒だったかもしれません。
名前を残すような偉人のエピソードは、調べていて色々な発見をもたらしてくれますね。
ピカソの作品と出合える機会があれば、「この人は確か本名が長かったんだよなー」なんて思いながら見ると、一味違った印象を受けるかもしれません。