ミケランジェロは、ルネサンス期の彫刻家、画家、建築家として世界中で有名です。
西洋美術史上さまざまな場面に大きな影響を与えた芸術家であり、それは現代にまで及んでいるといえます。
そんなミケランジェロとはどのような人物で、どんな生涯を送ったのか。今回は紹介していきますね。
ミケランジェロの生涯
ミケランジェロ・ブオナローティは1475年、フィレンツェ近郊の村で役人の子として誕生します。
わずか13歳のときに画家に弟子入り。その実力を認められるほどの有能振りを発揮します。当時のメディチ家当主にも気に入られバックアップを得るほど。
ここで多くの教養や芸術の基礎を学びながら少年時代を過ごしていきます。
さらに21歳のとき、ローマに招かれます。そこで代表作のひとつである「ピエタ」の制作に取り掛かるのが1498年。
約2年かけて一枚岩から創られた「ピエタ」は、奇跡といえる彫刻だと評価されています。
ピエタ完成の翌年、1501年から制作に取りかかるのが「ダビデ像」です。
ダビデ像はピエタと並ぶミケランジェロの代表作。芸術に関心のない人でさえ知っているほどの作品でしょう。
その後システィーナ礼拝堂天井画、メディチ家に依頼され初めて建築に携わったサン・ロレンツォ大聖堂など。かずかずの芸術作品を生み出していきます。
こちらの動画では、システィーナ礼拝堂天井画についてナレーションと共に素晴らしい映像が映し出されています。ぜひ見てみてください。
ミケランジェロはレオナルド・ダ・ヴィンチと同じく、ルネサンス期の万能人と呼ばれるようになるんですね。
鼻が曲がった理由
少年時代、メディチ家の庇護の元で修行していたミケランジェロ。
あるとき友人とケンカになり、鼻を折られてしまいました。その鼻は生涯曲がったままで、彼のコンプレックスであり特徴でもあります。
それが原因でしょうが、彼は肖像画を描かれることを嫌っていたようです。
誰よりも芸術の美しさを表現できていたミケランジェロ。そんな彼にとって、自分自身の見た目が歪んでいることは、とてつもない劣等感を感じさせたはずです。
ミケランジェロは、孤独を好む性質だったと伝わっています。鼻が曲がってしまったことがコンプレックスになり、その後の人生を陰鬱なものにしてしまったのかもしれません。
性格は地味
友人とケンカするエピソードからわかるように、ミケランジェロはかっとなりやすくかなり短気だったと想像できます。
伝わっているのは、基本的には人付き合いを好まず、引き篭もっているような内向的な性格でもあったとか。
もしかして、鼻が曲がったことで気難しさに拍車がかかったのかもしれません。
華やかな世界に居る芸術家でありますが、実際の暮らしぶりは地味だといわれています。
常に作業着と作業靴という装い、出かける時や就寝時でも服装を変えない。そんな質素な生活だったそう。
あのメディチ家をパトロンに持ち、数々の芸術作品を世の中に送り出している人とは思えない逸話ですね。
ゲイ疑惑
ミケランジェロは生涯独身でした。しかし、ゲイ疑惑があったのです。
性的な関心がないまま若者時代を過ごし、老年の頃、20代の男の子にラブレターのような詩を送っていたとか。
この当時は、『ソネット』と呼ばれる14行の短い形の詩があります。ミケランジェロも、多くのソネットを残しているんですね。
彫刻や建築だけでなく、詩の才能もあったのでしょう。
また、真偽はわかっていませんが、違う男性にもたくさんのソネットを制作している話があります。亡くなったときも、男性の腕の中だったといわれているんですね。
実際に、ミケランジェロの作品には男性が多いのが特徴です。女性も男性の様な体つきをしていることから、ゲイだと噂が立ったのではないでしょうか。
しかし、ミケランジェロが60歳ぐらいのとき、ある40代の未亡人とソネットを送りあう関係になっています。
その関係は未亡人が亡くなるまで約10年ほど続いたというから、女性に興味がないわけでもなかったみたいですね。
まとめ
ミケランジェロは88歳で亡くなる直前まで、彫刻を彫り続けていたといわれています。この時代としては、とても長生きですね。
そして、その生涯は芸術一筋。ほかのことには一切興味を持たず、ただ素晴らしい作品を作り続けています。
なんとなく気難しい芸術家だという印象ですが、それでも現代にまで残る芸術作品を生み出しているのはさすが。
機会があれば、ミケランジェロの作品を間近で見て、芸術を楽しんでみたいものです。