バッハの逸話【意外なトリビア】まとめ

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バッハ(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)といえば音楽の父と呼ばれ、天才のイメージがあります。

そんな音楽家として世界的に有名なバッハですが、一体どのような人物だったのでしょうか。

そこでバッハに関する、知られざるエピソードやトリビア、逸話をご紹介します。

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バッハの逸話

生前のバッハは作曲家というよりも、どちらかといえばオルガンの演奏家として知れ渡っていた人物です。

才能は認められていましたが、亡くなった後は世間から忘れられた存在でした。

しかし、息子たちや著名な音楽家たちによって、バッハの曲は細々と受け継がれていきます。

そしてバッハが亡くなってから約80年が経過した頃、ドイツの作曲家であるフェリックス・メンデルスゾーンによって、「マタイ受難曲」がベルリンで公演されます。

それがきっかけとなり、バッハの曲は再評価されていくのです。

こちらの動画がメンデルスゾーンによるマタイです。

どんな人物だったのか

バッハ一族は、音楽家の家系で、数多くの音楽家を出しています。中でも、ヨハン・ゼバスティアン・バッハは高い功績から、大バッハとも呼ばれているほどです。

このことから普通バッハといえば、ヨハン・ゼバスティアン・バッハを指します。

バッハは生涯で2度結婚し、なんと20人もの子供を儲けています。ですが、早くに亡くなってしまった子が10人いるので、悲しみも大きかったことでしょう。

また、成長した子供たち数人は父親と同じように音楽の道へ進み、成功しているのはさすがといえますね。

そんなバッハですが、実は少しトラブルメーカーなところがあります。請け負った仕事のほとんどで、揉め事を抱えていたといわれているのです。

大のコーヒー好きだった

バッハのエピソードのひとつに、なんと一日に数十杯もコーヒーを飲んでいたという話があります。

コーヒー愛好家だったことから、演奏場所が教会からコーヒーハウスになるといった逸話も伝わっているほど。

バッハは音楽だけでなく、コーヒーの人気も広めた人物だったのでしょう。

さらにバッハは1750年に65歳で亡くなりましたが、その遺品リストにコーヒーカップとコーヒーポットが含まれていたとか。

かなりコーヒー好きだったことがわかるエピソードですね。

ちなみにベートーベンも大のコーヒー好きで有名です。天才を作る要素に、コーヒーが何かしら関わっているのかもしれません。

14という数字へのこだわり

バッハは「14」という数字がお気に入りで、なんでも14番でないと気が済まない性格だったようです。

しかし、バッハなぜそこまでして「14」という数字にこだわっていたのか。

その理由は、自分の名前のアルファベットを、数字に変換させ計算した合計が14になったからだといわれています。

バッハはこのことから、「14」という数字を自分のナンバーにすることを決意しました。

BACH(バッハ)なので、Bは2、Aは1、Cは3、Hは8、合計14という訳です。

後に音楽学協会へ入る際も、14番目にあわせて入会しました。このことから、かなり数字に固執していた様子が伺えますね。

また、バッハの曲の中にも面白い秘密が隠されているといわれています。

たとえば、カノン変奏曲で「高き天より」の最終小節は、B-A-C-H(変ロ-イ-ハ-ロ音)という音階名があります。

ここでも音階に自分のサインを残すほど、数字にこだわっていたのでしょう。

まとめ

日本では音楽の父として認識されているバッハ。学校の音楽室に、肖像画が飾られているので知らない人はいないはず。

そんなふうに、天才といわれるバッハでも、数字にこだわりがあるとか、コーヒー好きだとか。

親しみを感じさせるようなエピソードは、なんとなく遠い人だと思っていたのに、身近な存在として感じられるのではないでしょうか。

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