平等院鳳凰堂は10円玉のデザインになっているお寺で、1994年に世界遺産に登録されています。歴史的背景や建築様式が貴重だと判断されたということでしょう。
その平等院鳳凰堂は1053年に建てられ、作った人は「藤原頼通(ふじわらのよりみち)」という平安時代の公家です。
当時は鳳凰堂という名前ではなく、阿弥陀堂とか、御堂とか呼ばれていました。現在の呼び名になったのは、江戸時代からだといわれています。
建ってから1000年以上経過しても、その存在感を放っている平等院鳳凰堂はどんな風に藤原頼通に建てられたのか、今回は紹介していきますね。
平等院鳳凰堂を作った藤原頼通
平安時代の貴族といえば藤原性が多くて、正直歴史に疎いと誰が誰でなんなの? と混乱してしまうと思います。実際、藤原頼通と聞いてもピンとこない方は多いはず。
そこで、身内にスポットを当ててみます。この方のお父さんは藤原道長(ふじわらのみちなが)さんで、平安きっての成功者でありエリートだといわれています。
ご本人は知らなくても、お父さんの名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。
そんな道長は、ある有名な歌を残しています。
この世は自分のためにあるようなものだ、足りないものはなんにもないぞ、というような意味で、まぁかなり調子に乗っていますね。
でも調子の乗ってもいいほど権力を持っていたことは事実です。天皇と姻戚関係を結び、政治の実権を握った藤原氏は栄華を極めていました。
このお父さんと共に政治に関わり、活躍していたのが藤原頼通さん。
頼通さんは関白という政治的に重要なポジションに、なんと50年も務めたすごい人なんですね。父の道真さんと共に、藤原氏の全盛期を支えた功労者だといえるでしょう。
平等院鳳凰堂が建立された時代
浄土式庭園と鳳凰堂/Wikipediaより引用
平等院鳳凰堂がある宇治は平安時代、貴族の別荘地として賑わっていた場所であり、もともと平等院もお寺ではなく別荘だったのです。
何人か持ち主が変わり、父である藤原道長が手に入れ「宇治殿」としました。
元の持ち主に、源氏物語のモデルになったといわれる源融(みなもとのとおる)がいます。
道真が亡くなってから頼通がお寺にしたのが平等院の始まりです。1052年にお寺にして、翌年1053年に阿弥陀如来像を置く阿弥陀堂(現在の鳳凰堂)を建てました。
お父さんが別荘として使っていた建物を息子がお寺にしたというわけですね。
当時は末法思想(まっぽうしそう)という、お釈迦さまがいなくなってから2000年経過すると仏教の教えが廃れてしまい、世の中が乱れるという思想がありました。
とくに1052年が末法元年とされていたので、人々の不安感はかなりのものだったと予想できます。
治安の悪さや天災が、さらにこの末法思想を広めていきました。そして人々は極楽浄土を願うようになり、極楽へ導いてくれる阿弥陀如来を本尊とするお寺が盛んに建てられたのです。
そんな頃に頼通は鳳凰堂を建てました。ただ、現在では特定の宗派に属さないお寺となっています。
鳳凰堂と呼ばれ始めたのは江戸時代から。建物の形が伝説の鳥である「鳳凰」が羽を広げた姿に似ているということから、鳳凰堂と呼ばれるようになりました。
こちらの動画ではライトアップされた平等院鳳凰堂が撮影されています。時間は短いですが、圧倒的な外観を拝めるのでぜひ見てみてください。
藤原頼通という人
藤原道長の長男として生まれ、26歳で最年少摂政を務め、長いあいだ政治に関わってきた頼通。ですが、お父さんのように、天皇と姻戚関係をうまく結べませんでした。
藤川氏は天皇に娘を嫁がせることで、生まれた子が天皇になれば親戚として政治の実権を握れる摂関政治(せっかんせいじ)を行ってきたのです。
しかし、藤原頼通は嫁がせた娘に男の子が誕生しなかったことで、晩年は段々と権力が衰えてしまいました。
ただ、末法思想という悲観的な思想が流行した時代ですが、頼通さんは83歳まで生きています。かなり長生きですよね。
しかもお姉さんである藤原彰子さんも87歳、弟である藤原教通さんも79歳まで生きているので、長生きの遺伝子でも持っていたのかもしれません。
ちなみにお姉さんの藤原彰子は天皇に嫁ぎ、周りには源氏物語の作者として有名な紫式部がいます。
まとめ
平等院鳳凰堂を作った人は藤原頼通さんという方で、お父さんと共に藤原氏の繁栄を支えた人物です。
10円玉に描かれる平等院鳳凰堂を建てたと同時に、優れた政治家でもあった頼通さんはとても長生きして生涯を全うされました。
今でも83歳って長生きの部類に入りますが、それを平安の時代に兄弟揃って長命ってすごいですね。
しかもただ長く生きただけではなく、現代にまで残る文化財を残した功績は素晴らしいといえるでしょう。
平等院鳳凰堂は京都府宇治市にあります。機会があれば行ってみて、藤原頼通が一体どんな風に過ごしていたのだろうかと、思いを馳せてみるのもいいかもしれませんね。