画家として、世界的に著名なゴッホ。その代表作といえば、「ひまわり」の絵を思い浮かべる人は多いはずです。
そんなゴッホの人生を見ていくと、挫折と精神障害、自ら命を絶つなど。壮絶な人生を歩んできたことがわかります。
歴史の偉人ですさまじい生き方をした人は、たくさんいます。なかでもゴッホには、かなりの逸話が伝わっているんですね。
そこで今回は、ゴッホのエピソードやトリビアをご紹介していきます。
ゴッホの人生
ゴッホのフルネームは、『フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ』といい、37歳の若さで亡くなりました。
自分の耳を切った
ゴッホが起こした有名な事件といえば、自らの耳を切るという行為が一番有名です。
その衝撃の事件とは、日曜日の夜11時30分、娼館に現れたゴッホは、ラシェルという女性を呼んで自分の耳を渡します。そのときに、「これを大事に持っていてくれ」といい残し姿を消したそうです。
通報を受けた警察は、翌朝ゴッホが瀕死の状態で自宅のベッドに横たわっているところを発見しました。
ゴッホが自分の耳を切った理由には、諸説あります。
当時ゴッホは、同じく画家のゴーギャンと共同生活を送っていました。このゴーギャンとの関係が悪くなったことで、発作的に耳を切ったとも言われています。
しかし、ゴッホ自身はこの事件について何も話していません。この出来事をきっかけに、ゴッホは精神病院へ入院します。
1枚しか絵を売っていない
ゴッホに関するエピソードの中で、「ゴッホは生涯に渡り一枚しか絵を売っていない」という話があります。
「赤い葡萄畑」という絵が、その一枚。しかし、ゴッホは数枚の絵を売っていたという説も聞こえてくるのです。
実際のところはわかりません。ただ、「赤い葡萄畑」は、当時400フランで購入されています。現在の金額にすると十数万程度だとか。
対して、「ひまわり」は1987年に開催されたオークションで、日本の保険会社が落札しています。金額は53億円です。
時代によって、かなりの差を感じさせる金額ですね。
彼の死後、急速にゴッホの知名度が上がります。それと同時に、彼の作品も評価されるようになるんですね。
弟テオとの関係
ゴッホは、若いころ職と住む場所を点々とていました。画家として活動し始めてからは、ほとんど弟(テオドルス・ファン・ゴッホ)の支援に頼っていたと伝わっています。
テオは画商であり、兄ゴッホの唯一の理解者でした。しかし、テオが結婚し子供が生まれたことで、ゴッホは自分と弟との関係性に不安を覚えていたようです。
そのテオは、元々病弱だったこともあり、兄が亡くなってから半年後に34歳の若さでこの世を去りました。
テオは死後、その妻によって、兄ゴッホの墓石の隣に並んで葬られています。
まとめ
ゴッホは1890年7月27日、拳銃で自らを撃ち、29日未明に弟のテオに見守られながら息を引き取りました。
とても悲劇的な最期を迎えてしまったゴッホ。ですが、いまだに多くの人から愛される作品を世に残しているのは、紛れもない事実です。
数々の逸話が残っているのは、それだけゴッホの絵がすばらしいからでしょう。そんなゴッホが実際に画家として活動していたのは、亡くなる前の約10年間ほどです。
短い期間に燃えるように活動して散ってしまったゴッホに、これからも人々は魅了され続けることでしょう。